かつて川を利用した舟運(当時は筏)により、木材の集散が行われていた。
約400年前に当時の南部藩当主の命令によって近江商人が材木町界隈に移り住み商店街が形成され始めた。
大昔は「岩手町(材木町)」、「久慈町(茅町)」と呼ばれていた。
岩手町の由来は岩手郡各郡からの移住者が多かったため、久慈町の由来は南部氏が三戸から盛岡移ってきたときに久慈地方から移住者が多かったためといわれている。
宮沢賢治ゆかりの場所が沢山あり、商店街の通りを「いーはとーぶアベニュー」(賢治による造語)とネーミングしている。
近年では、材木町よ市で有名である。